ぼくも、随分と年齢を重ねてきたので、
 自分の感情だけで動くことの愚かしさを知っている。

 愛する人が幸せを感じられない、
 もしくは、
 喜びよりも哀しみのほうが多い、
 そういう恋なら、
 諦めるべきことを知っている。

 ぼくはポチに、幸せを感じさせてあげられているのかな?
 いつも辛い想いばかり、させているよね。
 静かだったポチの心を乱れさせて、
 ポチの夢を奪ったり、淋しくさせたり・・・

 
 いつも、どうしたらポチに喜んでもらえるか、
 そういうことばかり考えているけど、
 ぼくがしていることは、結果的にポチを苦しめているだけかもしれないね。

 

 
 ポチの文章を読んで、
 そんなことを、ふと考えたりする。

 

 分かり合えることは、確かに難しいよね。
 でも、分かり合うことが大切なんじゃなくて、
 分かり合えるようにお互いが努力することが大切なんじゃないかな?
 そういう努力が、うれしいんじゃないのかな?
 努力をする方にも、される方にも。

 まあ、そう簡単なことでもないのかもしれないけれど。

 ぼくはね、
 今まで、相手に何かを望む恋愛ばかりして生きたような気がする。
 でもね、
 ポチには、何かをしてあげたい、とばかり思う。
 代償を何も求めない、
 ただ、純粋に相手を想う、そういう恋。
 
 そういう恋に巡り合えて、本当によかったと思うんだ。
 

 ただ、それでポチが幸せかどうかは、別な話だよね・・・
 ごめんね。

 *******

 この間は、ポチの気持ちに関係なくポチを抱いた。
 そのときは、いけないことをしたと反省した。
 でもね、今は反省するべきだったかどうか、わからなくなっている。

 ぼくとポチは、恋人同士だけど、
 主従関係でもある。

 ご主人様であれば、
 ポチが辛いときほど、しっかりとポチの心をつかんであげないといけないんじゃないか?
 辛いときほど、ポチの心が帰ってこれるところを作ってあげないといけないんじゃないか?
 辛いときほど、調教して依存させてあげないといけないんじゃないか?

 そんなことも考えている。

 ぼくは、ポチに「ご主人様」と呼ばれるほど立派な人間でもない。
 そんなことはわかっている。
 誰だって、ポチに「ご主人様」と呼ばれていることを知ったら、笑うに違いない。
 だから、「ご主人様」と呼ばれる自信も、当然にない。

 でも、ポチは「ご主人様」と呼んでくれる。
 きっと、ポチは、「ポチのご主人様」が欲しいんだろう。
 そうであれば、
 ぼくが、「ご主人様」にふさわしいかどうかとは関係なく、ぼくは「ご主人様」にふさわしい行動をしなければいけないんじゃないか?
 特に、ポチの気持ちが落ち込んでいるときほど、「ご主人様」でいるべきではないのか?
 そう考えたりする。

 本当のところ、どう振舞えばいいのか、わからないんだ。

 
 でも、「ポチのご主人様」でいたいし、そうしたいから、今度逢うときには、ぼくは「ご主人様」になる。
 ポチは、「ご主人様のポチ」でいてくれますか?
 
 

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