今日、どういう経緯かは忘れたが、車の中でポチに2曲ほど歌を歌った。
 そのときに、ふと思ったことだが、歌詞を覚えるという作業は、中学生の頃でstopしたままだ。ポチにそう説明はしたものの、どうして中学生でstopしたままなのか、考えたことはなかった。なぜなんだろう?
 ひとつは、カラオケが好きではないことも関係しているんだろう。
 それから、中学生の頃は、その当時流行のフォークソングをギターを弾いて歌っていたが、高校生になってジャズに傾倒したことも関係しているんだろう。
 そんなこんなで、30年ほど前の歌を歌ったわけで、なんとも申し訳ない感じだ。

 カラオケを好きでないわけも、あまり考えたことはない。
 ぼくが、ぼく以外の男と群れるのは、ばくち系か、スポーツ系と相場は決まっている。つまり、勝負事以外に男友達と群れるのは好きではないから、きっとカラオケを好きではないのだろう。ぼく以外、すべて女性・・・というシチュエーションならカラオケにいくこともありえそうな気がする。
 彼女と二人・・・なら、わざわざカラオケに行く必要もないしね。

 そういえば・・・、
 ポチは昔、ラブホで彼氏と裸でカラオケを歌ったことがあるそうだ。
 ぼくはラブホに行ったこと自体、ポチとが初めてなのだが・・・。
 裸でカラオケ・・・。
 さぞ、楽しかっただろうね。
 今度、バイブを装着させて、裸でカラオケさせようかな。
 まさか、できないなんて言わないだろうね?

 話は変わるけど・・・、最近、「東横イン」なるホテル会社が激しく攻撃をされているようだ。
 まあ、条例(法律?)違反なので、仕方ないといえば仕方ないのだろうが、ちょっと行き過ぎのような気もする。
 そもそも、公権力が作る法律なり条例は、いわゆるルールとルール違反した場合のペナルティに限定されるべきだ。しかも、ルールは平等に定められなければならない。そして、マナーとルールは、厳格に区別すべきだ。
 障害者用の宿泊施設なり、駐車スペースを設けるのは、とてもいいことだと思うが、それはマナーレベルの話で、公権力が民間に強制するのはいかがなものか。少し障害者保護に傾き過ぎたルールだと思うが、どうだろうか。
 本当に障害者用の宿泊施設の設置を全てのホテルに義務付ける必要性があるのか、もう一度考えるべきだと思う。
 
 なんでもかんでも、ルールにしてしまうのは社会がギスギスしてしまう。ルールは少なければ少ないほうが良いに決まっている。最低限のルール以外はお節介というものだ。
 人は、病気とか、障害だとか、命だとか、それから子どもだとか、そういったことに関しては、つい同情しがちだ。映画でも必ず泣ける。だから、選挙のときのアピールにもなる。そして、安易にルール化される。そのルールを批判すると「ひとでなし」と言われる。
 しかし、ルールとマナーは厳然と区別すべきだし、ルールは誰に対しても平等に作られなければならない。行き過ぎた保護を与えるルールは、本来の趣旨を見失わせてしまう。例えば、今回の件に関しても、「法律や条令で定められているので、最低限の障害者用の宿泊施設を仕方なく作ります」というだけの話に終わってしまう。それでは、意味がないのではないか。目指すべき「ノーマライゼーション」の精神とはかけ離れてしまう。
 民間ホテルが自主的に設置し、改良する。そして、その精神に共鳴した健常者が、そのホテルを多少高くても利用する。そういう形に持っていかないと、障害者は最低限のサービスからは永久に脱却できないだろうに。

 話はそれるが・・・車のシートベルト。運転者や同乗者の生命を心配してくれるのはうれしいが、はっきり言って「おせっかい」だ。そこまで、公権力が介入してくる必要なんてないだろう。マナーとさえいえないレベルのはなしだ。
 それから、コンビニの障害者用駐車スペース。あれも自主的に設置しているのなら問題ないが、法律や条令で設置を義務付けているのなら即刻止めるべきだ。何百台も駐車スペースがあるのなら別だが、たかだか10台程度の駐車スペースしかないところに障害者用駐車スペースを設置させてもほとんど意味がないでしょうに。それなら、コンビニのドアをすべて自動ドアにするほうがはるかに便利が良いと思う。

 同情と愛は、全く別物だ。
 愛は強制するものでも、保護されるものでもないはずだ。
 愛ははぐくみ、育てるものだ。
 たとえ、時間がかかっても。
 性急に結果を求めても、結果的にうまくいかないことが多いのは、歴史が示すとおりだと思うが・・・。

 

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