ご主人様と逢ったあとは
 逆に身体が疼く。
 暫くは行った行為を思い出すだけで感じてしまう。
 快感を思い出す。
 会話を思い出す。
 余韻に何日間か浸ることが出来る。

 二人で行う行為は何度絶頂がきても次に来る波がより大きなものであることが多い。
 体力さえ続けばその全てを追い求めていきたいのだけど
 大体はポチの体力が続かなくなる。
 やさしくされて感じて
 あらっぽく抱かれて感じる。
 優しい微笑みに安らぎを感じ
 冷たい視線で支配される喜びに打ち震える。

 ポチはこの快感をご主人様にあって初めて知った。
 今日、もし若い頃この快感を知ってしまったらどうなるのだろうと考えてしまった。
 二十歳のあの頃自分の被虐性に目覚め性の喜びを知っていたら。。。
 
 人生は変わってしまっていたのだろうか。

 ご主人様とお付き合いするようになってから
 思い出すことのなかった昔を思い出すことが多くて
 昔自分が「付き合っていた」人との関係のことをよく考える。
 思いだしてみれば
 決して付き合っていない人が多い。
 
 夜中になると部屋に訪れてきてセックスをして会話もなく帰っていき他の人が好きになったと簡単に私を捨てた人。
 ホテルに行く以外に食事や普通のデートをしたことがない人。
 電話をすることも許されなかった人。
 
 そしてその人たちの唯一のコミュニケーション手段のセックスでは全く感じたことがなかった。
 なんだか改めて自分が馬鹿みたいに思える。
 思えばポチの人生は意味がないことに空費した時間が余りに多すぎる。
 人生自体がちっぽけで惨めに思えてくる。

 
 ・・・ご主人様との逢瀬の余韻が思い出すだけでは得られなくなったとき
 自分で身体を触る。
 小さな絶頂の後虚しくなる。
 そんなことを繰り返すと不安が訪れる。
 こんな風に逢えなくなったときこの不安に呑み込まれてしまいはしないかと。
 不安だけが生きることの全てになってしないかと。

 今はまだかなり頻繁にあって頂ける。
 具体的に変わってしまう状況が予測出来る今
 本当に悲しい気持になることが多い。

 喜びの後訪れる不安。
 これはポチに与えられた宿命なのかもしれない。

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