まだ、学生の頃、医療過誤訴訟の法廷に何度も足しげく通ったことがある。
そのときにいつも感じたこと。
それは、患者側と医師側とにボタンの掛け違いがあるということだ。
医師側はいつも「結果的にうまくいかなかっただけで、最善を尽くした。」という。それに対し、患者側は「避けられるミスで、最善を尽くしていない。」という。
じゃあ、最善って何?
実は、患者側は、医療行為を「純然たる科学行為」だと誤解しているのだ。
科学行為というのは、「100回試行すれば、100回同じ結果が得られる」ことをいう。つまり、再現可能性だ。
ところが、医療行為、特に手術においては、患者の病状は百人百様だし、執刀する医師の技量も百人百様だ。しかも、一度手術が行われれば、同じ患者と同じ医師であっても、同じ手術を行うことなど不可能だ。つまり、再現可能性など100%ないのだ。
現に、「手術の成功率は70%です」などと医師は言うではないか。「70%の成功」などという科学は本来存在しないのだ。
だから、医療行為は「純然たる」科学行為ではないのだ。
この点で、医師は当然、そのことをわかっている。しかし、患者側は本当の意味でわかっていない。
だから、両者で「最善」の意味が食い違ってくる。
つまり、医師のいう「最善」は、当該医師が当該医療設備でできる限りのことをしたこという。しかし、患者側は、患者側が期待している行為を全うしたときに初めて「最善」を尽くした、と評価する。これでは、医師の側はたまったものではない。
ただ、患者側もかわいそうではある。というのは、技量の劣る医師が執刀すれば、なかなか「過失」が認定されないからだ。
考えてみると、同じ結果でも、技量に優れた医師の場合は過失が認定され、劣った医師が執刀すれば過失が認定されないというのも、変な話ではないか。
結局、両者にボタンの掛け違いがあるがゆえに、しかも再現可能性がないがゆえに、徒に長時間の訴訟が行われ、民事訴訟であれば、両者とも疲れはて、示談で終わる。刑事訴訟であれば、裁判所は「当該医師が当該医療設備でできる限りのことをしたかどうか」(医師側と基準が一致)を基準に過失を認定するから、ほとんどの場合、医師側は無罪になり、患者側は納得がいかないから上訴し、延々と裁判が長引く。
お互いに、非生産的な行為だ。特に、医師にとって、些細なミスでいちいち裁判にかけられるのは、非常に負担だし、国民医療の観点からしても、マイナスだ。
思うに、手術の全てを録画し、媒体を患者側に渡すことを義務付けたらよいのではないか? 録画画像さえあれば、少なくとも「当該手術行為の再現可能性」は100%だ。
医師の側も、いちいち捜査機関の取り調べに応じる必要もないし、「最善」を尽くしたかどうか、法廷で争う必要もないので、裁判の決着が早い。患者の側も、録画された画像を確認しつつ説明を受ければ納得もいくから、訴訟にすらしない可能性が高まる。また、悪質な医療過誤行為の言い逃れもできなくなり、透明性も高まる。
現に、録画する病院は増えている。大阪の公立病院でも取り入れている。
医療行為の透明性を高め、医療への信頼を取り戻せるし、何よりも医師にとっていわれのない訴訟に巻き込まれる心配もなくなる。
医師の自己防衛手段としても、録画を義務付けるべきだと思う。
そのときにいつも感じたこと。
それは、患者側と医師側とにボタンの掛け違いがあるということだ。
医師側はいつも「結果的にうまくいかなかっただけで、最善を尽くした。」という。それに対し、患者側は「避けられるミスで、最善を尽くしていない。」という。
じゃあ、最善って何?
実は、患者側は、医療行為を「純然たる科学行為」だと誤解しているのだ。
科学行為というのは、「100回試行すれば、100回同じ結果が得られる」ことをいう。つまり、再現可能性だ。
ところが、医療行為、特に手術においては、患者の病状は百人百様だし、執刀する医師の技量も百人百様だ。しかも、一度手術が行われれば、同じ患者と同じ医師であっても、同じ手術を行うことなど不可能だ。つまり、再現可能性など100%ないのだ。
現に、「手術の成功率は70%です」などと医師は言うではないか。「70%の成功」などという科学は本来存在しないのだ。
だから、医療行為は「純然たる」科学行為ではないのだ。
この点で、医師は当然、そのことをわかっている。しかし、患者側は本当の意味でわかっていない。
だから、両者で「最善」の意味が食い違ってくる。
つまり、医師のいう「最善」は、当該医師が当該医療設備でできる限りのことをしたこという。しかし、患者側は、患者側が期待している行為を全うしたときに初めて「最善」を尽くした、と評価する。これでは、医師の側はたまったものではない。
ただ、患者側もかわいそうではある。というのは、技量の劣る医師が執刀すれば、なかなか「過失」が認定されないからだ。
考えてみると、同じ結果でも、技量に優れた医師の場合は過失が認定され、劣った医師が執刀すれば過失が認定されないというのも、変な話ではないか。
結局、両者にボタンの掛け違いがあるがゆえに、しかも再現可能性がないがゆえに、徒に長時間の訴訟が行われ、民事訴訟であれば、両者とも疲れはて、示談で終わる。刑事訴訟であれば、裁判所は「当該医師が当該医療設備でできる限りのことをしたかどうか」(医師側と基準が一致)を基準に過失を認定するから、ほとんどの場合、医師側は無罪になり、患者側は納得がいかないから上訴し、延々と裁判が長引く。
お互いに、非生産的な行為だ。特に、医師にとって、些細なミスでいちいち裁判にかけられるのは、非常に負担だし、国民医療の観点からしても、マイナスだ。
思うに、手術の全てを録画し、媒体を患者側に渡すことを義務付けたらよいのではないか? 録画画像さえあれば、少なくとも「当該手術行為の再現可能性」は100%だ。
医師の側も、いちいち捜査機関の取り調べに応じる必要もないし、「最善」を尽くしたかどうか、法廷で争う必要もないので、裁判の決着が早い。患者の側も、録画された画像を確認しつつ説明を受ければ納得もいくから、訴訟にすらしない可能性が高まる。また、悪質な医療過誤行為の言い逃れもできなくなり、透明性も高まる。
現に、録画する病院は増えている。大阪の公立病院でも取り入れている。
医療行為の透明性を高め、医療への信頼を取り戻せるし、何よりも医師にとっていわれのない訴訟に巻き込まれる心配もなくなる。
医師の自己防衛手段としても、録画を義務付けるべきだと思う。
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