最近、江原某というスピリチュアル・・・なんとかがたいそうな人気だそうだ。
ぼくは、テレビをほとんど見る暇がないし、暇があっても民放はほとんど見ないので、どんな人か全然知らないんだけれど。
その江原某が、いろいろ、批判されたり、攻撃されたりもしているそうだ。
人気が出ると、批判もでる。
まあ、よくあることだ。
そんな話を聞いていると、日本人の宗教について以前から考えていることが浮かんでは消える。
そもそも、宗教といっても大きくは二つに分けることができると思う。
一つは、思考様式としての宗教。もう一つは、救済としての宗教。
(どちらも、ぼくが勝手に名づけたものなので、あしからず)
思考様式としての宗教は、選択する以前の存在で、その地域なり、その国家なりに生まれたときから、否応なく刷り込まれている宗教のことだ。たとえば、イスラム国家におけるイスラム教がそうだ。日本人にとっては、希薄だが・・・。
救済としての宗教は、その人が自らの選択として信仰する宗教だ。日本で言えば、創価学会などは典型例だろう。
江原某を支持、あるいは賛美するする人たちは、結局、心の救済として自ら選択して、江原某を信仰しているわけだから、ある意味で後者の宗教と類似している。
オウムとか、霊感商法とか、エステとか、占いとか、そういったものも全て同じで、選択して信仰しているのだ。騙されているとか、騙されていないとか、そういったことを含めて、選択して信仰しているのだ。
そして、騙されているとしても、それで多少なりとも「救済」されているのなら、それはそれでいいのではないか、と思う。
まあ、「恋愛」も似たものだし。半分は騙されているようなものだし。あんな人のどこがいいの?、なんてよくある話だ。
人間は弱いから、何かに依存して生きていくことも必要であって、それをだれも否定できるわけではないよね。
江原某の話を聞いて、そんなことをふと思った。江原某を神のように慕い尊敬する女性が江原某に抱かれたなら、そのセックスはきっと通常では味わえないほどの甘美な世界をもたらすんだろう。それは、ある意味ですばらしいことだと思う。身近に神を感じながらセックスできるなんて、うらやましいとも思う。
そんなことをふと思った。
ポチが、ただの中年男である「ぼく」を「ご主人様」などと呼んでくれるのも、ある意味でポチが騙されているわけで・・・、ぼくが騙しているわけで・・・。ある意味で宗教なわけだ。
まあ、「神」ではないけど、「ご主人様」とセックスすれば、気持ちもよいかな?とか。
ポチが「ご主人様以外とセックスしても感じません」という言葉も、そういう意味では真実の部分があるのかもしれない。
そういえば、最近、親指でポチのアナルを弄るのが少し上手になったぼくだが・・・、
この間、ポチが喘いでいるのを見て、
親指一本で、アナルだけで、ポチをここまで感じさせるのはこの世でぼくだけかも・・・
な〜んて思ったりしたな〜。
とても気持ちよさそうに逝っていたからなぁ(笑)。
愛しているよ☆
ぼくは、テレビをほとんど見る暇がないし、暇があっても民放はほとんど見ないので、どんな人か全然知らないんだけれど。
その江原某が、いろいろ、批判されたり、攻撃されたりもしているそうだ。
人気が出ると、批判もでる。
まあ、よくあることだ。
そんな話を聞いていると、日本人の宗教について以前から考えていることが浮かんでは消える。
そもそも、宗教といっても大きくは二つに分けることができると思う。
一つは、思考様式としての宗教。もう一つは、救済としての宗教。
(どちらも、ぼくが勝手に名づけたものなので、あしからず)
思考様式としての宗教は、選択する以前の存在で、その地域なり、その国家なりに生まれたときから、否応なく刷り込まれている宗教のことだ。たとえば、イスラム国家におけるイスラム教がそうだ。日本人にとっては、希薄だが・・・。
救済としての宗教は、その人が自らの選択として信仰する宗教だ。日本で言えば、創価学会などは典型例だろう。
江原某を支持、あるいは賛美するする人たちは、結局、心の救済として自ら選択して、江原某を信仰しているわけだから、ある意味で後者の宗教と類似している。
オウムとか、霊感商法とか、エステとか、占いとか、そういったものも全て同じで、選択して信仰しているのだ。騙されているとか、騙されていないとか、そういったことを含めて、選択して信仰しているのだ。
そして、騙されているとしても、それで多少なりとも「救済」されているのなら、それはそれでいいのではないか、と思う。
まあ、「恋愛」も似たものだし。半分は騙されているようなものだし。あんな人のどこがいいの?、なんてよくある話だ。
人間は弱いから、何かに依存して生きていくことも必要であって、それをだれも否定できるわけではないよね。
江原某の話を聞いて、そんなことをふと思った。江原某を神のように慕い尊敬する女性が江原某に抱かれたなら、そのセックスはきっと通常では味わえないほどの甘美な世界をもたらすんだろう。それは、ある意味ですばらしいことだと思う。身近に神を感じながらセックスできるなんて、うらやましいとも思う。
そんなことをふと思った。
ポチが、ただの中年男である「ぼく」を「ご主人様」などと呼んでくれるのも、ある意味でポチが騙されているわけで・・・、ぼくが騙しているわけで・・・。ある意味で宗教なわけだ。
まあ、「神」ではないけど、「ご主人様」とセックスすれば、気持ちもよいかな?とか。
ポチが「ご主人様以外とセックスしても感じません」という言葉も、そういう意味では真実の部分があるのかもしれない。
そういえば、最近、親指でポチのアナルを弄るのが少し上手になったぼくだが・・・、
この間、ポチが喘いでいるのを見て、
親指一本で、アナルだけで、ポチをここまで感じさせるのはこの世でぼくだけかも・・・
な〜んて思ったりしたな〜。
とても気持ちよさそうに逝っていたからなぁ(笑)。
愛しているよ☆
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