病気で寝ていると、日頃見ないテレビを見ることができる。
 CMの一つひとつも、興味深い。
 それ以上でも、それ以下でもないけどね。

 ワイドショーを見ていて、気になる事柄が二つ。

 一つは、小学校三年生が突き落とされた事件。
 「加害者の動機」や「被害者およびその家族」のことよりも、「加害者の家族」のことを思うと胸が痛い。
 どうして、被害者のことよりも、加害者の家族の方をかわいそうに思うのか、自分でも理解できない。死んでしまったものは仕方がない、と思っているのかもしれない。加害者の家族には、これから地獄に日々が待っている。

 もう一つは、安楽死(?)の事件。
 事件そのものは、どうってことのない事件で、どこの病院でも、きっと珍しくもない事例だろう。それが公になったのは、病院長と外科部長の「大学の医局がらみ」か「個人的感情のもつれ」か、が原因だろう。
 そんなことよりも、これを契機に「安楽死の要件」をもっと積極的に議論して、きちんと立法化して欲しいと思う。そして、その際に、「死に方」についてもっと自由を認めるべきだ。

 そもそも、現代の「死」はあまりにキリスト教的に過ぎる。
 キリスト教の世界では、神=創造主(造物主)であるから、生命そのものも神が創ったものだ。だから、自殺は悪魔の所業だ。神からもらった生命だから、少しでも長らえることが善とされる。
 しかし、自分の死に方くらい自分で決めたい。どんな死に方をすべきかは、個人が自由に決められてしかるべしだ。重篤な病状に陥った時に、少なくともぼくは自分の死に方を家族や医師に伝え、そしてそのとおりに処置して欲しい。勝手な延命治療などははなはだ迷惑だ。そして、自分が決めた死に方をそのとおりに遂行できるような安楽死の条件をきちんと立法化して欲しい。

 最低限・・・人工呼吸器だけは真っ平だ。機械に生かされるなんて屈辱ものだ。
 ぼくは、生物だ。自然に生きて、自然に死にたい。生物である以上、必要以上に死を回避したくない。きちんと死を受け止めたい。他でもない、自分の「死」だから。
 

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