以前、少し聞いた話ではあったけど、
 こうやって文章で読むと、いろいろな意味で衝撃的だね。

 まさか、初めて逝ったのがこういうことだったとはね・・・

 いくつかの感想を勝手に述べることが許されるのなら、少し書いてみたいと思う。
 
 一つは・・・
 きっと、彼はポチのことを愛していたんだと思う。
 「愛」という言葉を使うのが適切でないのなら、「好意」という言葉に置き換えてもいいと思う。
 自分の少年時代を思い返しても、性に対して少し乱暴だったと思う。思春期の頃は、「愛」というものが非常にあやふやなものに感じられて、乱暴にすることで、相手の愛を確認していた部分があったんだと思う。
 
 また、彼にとって、ポチは「偶像」だったんだと思う。思春期のアンバランスな精神状態の頃、ぼくにも(ほんの少しではあったけど)「偶像破壊」の願望があった。自分の手の届かない存在だからこそ、その偶像を破壊して、自分の手の届く範囲に貶めたいという願望があった。ただ、偶像というものは、自分の心が偶像化したものだから、破壊しても偶像だ、ということに後で気がつくのだけれど。

 思春期の彼の尖った感情が、きっとポチに刺さったんだろう。

 もう一つは・・・
 以前から言っていることだけど、ポチは愛情に飢えているんだと思う。
 幼少期の頃に、愛情のシャワーを十分に浴びていないんじゃないかな? それは、必ずしもポチのご両親の愛情が少ないという意味ではなく、ポチが要求するだけの愛情をポチが浴びていないという意味でね。淋しかったんだと思う。それが、ポチの不安な心を創っているんだと思う。
 だから、何かにすがりたい、何かを支えにしたい、という感情を創り出しているんだと思う。

 自分を求めてくれる人の行為は、それが何であれ受け入れたいんだよね。その感情は、愛の代償行為だと思う。本当は愛が欲しいのだけれど、それが愛でなくても、自分に向けられた感情であれば、愛の代償として受け止めたい。そうじゃないのかな?
 好きでもない(ポチ曰く)彼に呼び出されても、断れずについていくポチ。そして、彼の命令に従うポチ。

 僕に破壊して欲しいと思うその感情も、破壊するほどの量の愛情を注いで欲しいと感じているんだと思う。
 だから、ぼくはポチにありったけの愛を注ぎたいと思っている。ポチがおなかいっぱいになるだけの愛情を注ぎたいと思っている。それが、ポチを愛した僕の使命だと思っている。
 ただ、ポチの求める愛の量は、半端な量ではないようだね。まだまだ、足りないようだね。その証拠に、今でもポチはいつも淋しいもんね。
 もっともっと、愛を注がないとね。
 本当に大切に想っているからね。

 
 

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