レヴィ=ストロースの『神話論理』が、初めて翻訳されたらしい。
 なんだか、絶賛されているらしいけれど・・・

 ずっと昔、英訳された『神話論理』を読んだことがある。
 そんなに英語が得意ではないので、ざっと読んだだけだけれど。
 印象は・・・、あまりに論理的な飛躍が多くて、???な感じだった。

 いくつかの論文を読む限りでは、「お〜っ」という感じだったので、期待して読んだのだけれどね。
 有名なわりに今まで翻訳されなかったのはそこら辺に理由がるのでは? と、つい思ってしまう。

 ぼくは、構造主義者だ。実存主義が好きではない。
 だから、「主体」ではなくて、「主体」と「主体」の「構造」に着目した嚆矢のレヴィ=ストロースを「すごいな〜」と思う。

 ただ、それは、印象主義におけるモネの「印象-日の出」と一緒で、歴史的な意義を持つに過ぎないのじゃないのかな? って思う。
 まあ、こんなことをいうと、全ての科学の発見がそうなんだけどね・・・。

 そういえば・・・、音楽のクラシックにも「印象派」というのがあるけれど、あれは、どこがどう印象派なんだろう?
 絵画の印象派とは無関係なのかな?

 今度、ポチにきいてみようっと。

 
 

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