ごく当たり前のこと

2006年4月30日
「ごく当たり前のこと」は、ごく当たり前だけに、文章として残されるのはまれだ。
ただ、覚えておかないといけないのは、現在、当たり前のことが、将来的には当たり前でなくなることのほうが多い、ということだ。
ぼくは、今、過去の時代に生きていた人々が、どんな風に考え、どんな風に生活をしていたか、とても興味がある。
もっと焦点を絞り込めば、西欧文化に毒される(失礼!)以前の日本人(江戸や上方以外の、地方の農民など、ごく普通の一般人としての日本人)の思考形式や生活実態を知りたい。恋愛感情やセックスについての考えや実態を知りたい。

ずっと以前、福沢諭吉の「男女交際論」に目を通した事があるが、そこでは精神的恋愛と肉体的恋愛(セックス)を区別して、「情交」と「肉交」と表現していた。
福沢自身は、必ずしも精神的恋愛のみを支持しているようには思えなかったけどね。ただ、この二つを分けて論じる事それ自体に、すでに西欧主義への著しい傾斜が存在している。
まあ、福沢は西欧万能主義者だから仕方ないか・・・。

ただ、この論争以来、上流階級の恋愛は精神的恋愛と相場は決まったようだ。セックスは下卑たものとして・・・。
キリスト教(カトリック的)なアホな世界だ。
とても情けない事だ。


話は変わるが・・・、
ずっと昔、失礼は百も承知で、文学部の講師をされている方に、文学部の存在価値について聴いたことがある。
「役に立つんですか?」と。
今は、少しは物事が分かってきたので、こんな馬鹿なことは聞かなくても分かるが、その当時は、まだ世間の価値感に引きずられていたんだよね。

答えはこうだった。
「我々は、歴史の中で生きているんだ。だから、過去と未来をつなぐ役割を持っている。役に立とうが、役に立つまいが、過去の研究を引き継ぎ、未来に残す必要がある。」

こういう考え方、大好きなんだ。
目の前の賞賛とは関係ない、地味な仕事。
男の仕事として尊敬するな〜。

まあ、男なんて、競争とか戦争とか、馬鹿なことしかしないから、地味な仕事をさせとくに限るしね。
子どもを生めるわけでもないし・・・
世界中に1匹いれば、十分なわけだし・・・。
まあ、1匹は極論として、1000匹いればおつりがくるよね?
要らない男が多すぎなんだよね・・・。

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