「今一番幸せです。毎日驚きと感動の連続で。」
って、そんなわけないででしょう、誰だって。
多かれ少なかれ、誰もが昨日と同じ一日を過ごしているわけなんだから。
ただ、それをいい方向に捉えるか、悪い方向に捉えるか、それだけでしょう?
いい方向に捉えると、頑張ろう、と思う。
悪い方向に捉えると、頑張ろう、と思わなくなる。

笑顔は大切だよ。

「窓からダイビング」
なんて言葉を書くポチは、好きじゃないよ。
どうしてそんなことを書いたり、考えたりするのかな?

世の中で、絶対的に必要な人なんて誰もいない。
み〜んな代替可能な人ばかりだよ。
ニュートンがいなくても、誰かが古典物理学を構築しただろうし、
チャーチルがいなくて、イギリスがドイツに降伏したとしても、100年も経てば同じ世界になっているさ。
フルトベングラーがいなくても、誰も困らない。

ぼくの知らない人がいてもいなくても、自殺しようがしまいが、どうでもいいことだ。
目の前に蚊が飛んでいて、それがオスなのかメスなのか、
そのことの方がぼくにとっては重要だ。
でも、ポチがいないとぼくは嫌だ。絶対に嫌だ。
ポチの口から「窓からダイビング」なんて言葉を聴くのは嫌だ。

ぼくがいてもいなくても、世界は変わらない。
ぼくを知らない人は、誰も困らない。
ただ、
ぼくがいてもいなくても、ポチが同じように元気がないのは嫌だ。
ぼくがいてもいなくても、ポチが哀しいのなら、
少なくともポチにとってぼくは必要がない存在だ。

ぼくはポチを元気にするためにポチの前にいる。
ポチが少しでも幸せを感じられるように、とぼくは祈る。
ポチが喜んでくれると思うから、
メールする、電話する、逢いに行く。

メールしても、電話しても、逢いに行っても、
結局何も変わらず、
ただポチが哀しい毎日を送るのならば、
ぼくの愛は、砂の城だ。
ポチの感情の波がザザーッと一度押し寄せたら、
何もなかったようにかき消される、砂の城。
ぼくはいったい何をしているのだろう?

コメント