個人を特別なものとして認識しない限り
人もまたありふれた風景の一つだ。
私は誰かと蜜に接することはなく
風景から特別な個として切り取られる事もないので
例えば容姿に関するコンプレックスとか他人にどう思われるのかとか考えるのもあまり意味がないのだとは思うのだけど
それでも何とか前を向いて歩くことが出来るように
よそ行きの自分を作ってみたり
こうあるべきと設定してみたりする。
どれも自分だけど
その自分の設定した自分以外を自分だと認めたくないんだ。

疲れちゃう。

ご主人さまは床に眠っていたという。
今の職場は知らないので
勿論想像は出来ない。
その言葉で終わりそこからどんな思いも馳せることはない。
文字が文字以外の意味を持たない。

でも大変で無理をなさっていて
毎日仕事に明け暮れていると言うことは
知っている。

今放火した少年の事で騒がれている。
なにもかも壊して一からやり直したいと思う気持ちは少しわかる。(勿論今回の事件とは違うし事件自体は許されないことだけど)
私も以前の日記や写真を全て焼いたり
着ていた服をすべて捨てたり
試験の時あえて全て白紙答案を書いたり
学校を一ヶ月近くさぼったり
そこから新しい自分が始まるのではと期待して
何かをすることがよくあった。
小さな嘘が人生全てのように思えたりする年代だ。
小学校の時の卒業文集の文章が自分と似ていて
なんとなく・・・切ない。

一喜一憂。

それだけが続く。

何をしたいの?どうしたいの?
何をしてもらいたいの?

小さなキス。
優しい微睡み。

梅雨の日の空気はは陰鬱に
私を包む。

贅沢なんだ。

以前村上龍の小説で誰かに飼われて精神が壊れた女性をオーバーホールする男性の話を読んだけれど
それに自分を重ね合わせる。

繰り広げられる幸福で平和な光景。
相反する心情。

ご主人さまはとても優しくて
今日もまた明るく何処かで笑顔を振りまいているに違いない。
みんなから愛されて
みんなを愛して。。。

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