ニーチェの思想に「永劫回帰」という言葉がある。
彼は、時間の無限性と物質に有限性を前提に、物資が有限である限りその組み合わせもまた有限であるから、無限の時間の中で世界が繰り返される、と説く。
物質の有限性についてはさておき、
ニーチェの言う「永劫回帰」の世界の中では、
ぼくは同じ「人生の岐路」を何度も味わえることになる。
(途方もなく長い時間のスパンが前提だが。)
実際に人生には分岐点がある。
そして、人はそこで何がしかの選択をする。
ただ、
「あのときああしたらよかった・・・」
なんてぼくは考えない。
「反省はするが、後悔はしない」主義だからだ。
同じ分岐点で、同じ選択をする。
もっとも、同じことを繰り返すので、進歩がないともいえるが・・・。
ただ言えることは、またポチと出逢えば、またポチを愛するということだ。
ニーチェの永劫回帰・・・と言えば、
「存在の耐えられない軽さ」という本を思い出す。
著者の名前は・・・いつも忘れる(覚えられない)。
出会いは、映画からだ。
タイトルに惹かれた覚えがある。
とてもいい映画だった。
その後、本で読んだ。
基本的には映画を見て感動すれば本は読まない主義だが、
本屋でふと手に取ってパラパラとページをめくったとき、
冒頭で(たぶん)、ニーチェの永劫回帰についての記述があったので、面白いと思い買って読んだ。
(映画の冒頭でも永劫回帰について触れていたような気もするが・・・)
映画とは随分違う印象を持ったが、映画は映画で、本は本で、どちらも優れた作品だと思った。
(ただ、映画を先に観ていなかったら、途中で投げ出していたかもしれないけど。)
もし、ポチが読んでいなかったら、ぜひ読んで欲しい。
(ただ、誰かが持っていったのか、ここ最近、本を見たことがない。)
「存在の耐えられない軽さ」を本で読んだ頃、村上春樹の「ノルウェイの森」も読んだ覚えがある。
どちらも、哲学や音楽など、様々な情報が盛り込まれていたが、それらの扱いの違いを比較した覚えがある。
前者はそういったものを真正面から受け止め、後者はそれらをアクセサリーのように扱う。
ポチが大の村上春樹ファンなので、彼を批判することに躊躇を覚えるが、彼には一貫した主張を感じられないので、ぼくは村上春樹を「凄い」とは思えない。
彼は、明らかに雰囲気で書いている。しっかりとした構成がないい。
彼の作品には「耐えられない軽さ」がある。
そのノリで、他の哲学作品や芸術作品に彼なりの色をつけるので、たまらない。
ある意味で、川端に似ている。
だからこそ、文章が美しいのかもしれないが・・・。
川端と違うのは、彼が子どもだということだ。
純粋ともいえるが・・・。
話を元に戻すが・・・、
ニーチェの永劫回帰が真実のものとすれば、
様々な物質の組み合わせの中で、ぼくはもう一度(というか何度も)ヒトとしての人生を送ることになる。
ヒトとして同じ人生のときもあれば、違う人生のときもあるのだろう。
ポチと同じ中学に通うこともあるのだろう。
しかも、ヒトと生まれ変わる間に、ミドリゾウリムシに生まれ変わることもあるのだろう。
もしそうだとしたら、永劫回帰を信じたい。
ニーチェが言うように、強い意思が永劫回帰を生み出すものとすれば、永劫回帰を強く念じよう。
彼は、時間の無限性と物質に有限性を前提に、物資が有限である限りその組み合わせもまた有限であるから、無限の時間の中で世界が繰り返される、と説く。
物質の有限性についてはさておき、
ニーチェの言う「永劫回帰」の世界の中では、
ぼくは同じ「人生の岐路」を何度も味わえることになる。
(途方もなく長い時間のスパンが前提だが。)
実際に人生には分岐点がある。
そして、人はそこで何がしかの選択をする。
ただ、
「あのときああしたらよかった・・・」
なんてぼくは考えない。
「反省はするが、後悔はしない」主義だからだ。
同じ分岐点で、同じ選択をする。
もっとも、同じことを繰り返すので、進歩がないともいえるが・・・。
ただ言えることは、またポチと出逢えば、またポチを愛するということだ。
ニーチェの永劫回帰・・・と言えば、
「存在の耐えられない軽さ」という本を思い出す。
著者の名前は・・・いつも忘れる(覚えられない)。
出会いは、映画からだ。
タイトルに惹かれた覚えがある。
とてもいい映画だった。
その後、本で読んだ。
基本的には映画を見て感動すれば本は読まない主義だが、
本屋でふと手に取ってパラパラとページをめくったとき、
冒頭で(たぶん)、ニーチェの永劫回帰についての記述があったので、面白いと思い買って読んだ。
(映画の冒頭でも永劫回帰について触れていたような気もするが・・・)
映画とは随分違う印象を持ったが、映画は映画で、本は本で、どちらも優れた作品だと思った。
(ただ、映画を先に観ていなかったら、途中で投げ出していたかもしれないけど。)
もし、ポチが読んでいなかったら、ぜひ読んで欲しい。
(ただ、誰かが持っていったのか、ここ最近、本を見たことがない。)
「存在の耐えられない軽さ」を本で読んだ頃、村上春樹の「ノルウェイの森」も読んだ覚えがある。
どちらも、哲学や音楽など、様々な情報が盛り込まれていたが、それらの扱いの違いを比較した覚えがある。
前者はそういったものを真正面から受け止め、後者はそれらをアクセサリーのように扱う。
ポチが大の村上春樹ファンなので、彼を批判することに躊躇を覚えるが、彼には一貫した主張を感じられないので、ぼくは村上春樹を「凄い」とは思えない。
彼は、明らかに雰囲気で書いている。しっかりとした構成がないい。
彼の作品には「耐えられない軽さ」がある。
そのノリで、他の哲学作品や芸術作品に彼なりの色をつけるので、たまらない。
ある意味で、川端に似ている。
だからこそ、文章が美しいのかもしれないが・・・。
川端と違うのは、彼が子どもだということだ。
純粋ともいえるが・・・。
話を元に戻すが・・・、
ニーチェの永劫回帰が真実のものとすれば、
様々な物質の組み合わせの中で、ぼくはもう一度(というか何度も)ヒトとしての人生を送ることになる。
ヒトとして同じ人生のときもあれば、違う人生のときもあるのだろう。
ポチと同じ中学に通うこともあるのだろう。
しかも、ヒトと生まれ変わる間に、ミドリゾウリムシに生まれ変わることもあるのだろう。
もしそうだとしたら、永劫回帰を信じたい。
ニーチェが言うように、強い意思が永劫回帰を生み出すものとすれば、永劫回帰を強く念じよう。
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