ぼくは、
ポチを抱いている時に、
ポチが喘いでいる姿をポチに見せたくなる時がある。

ほら、こんなにいやらしいだろう。
ほら、こんなに乱れているよ。
ほら、見てごらん。こんな風に貫かれているんだよ。

ほら、ポチはぼくのものだよ。

以前、ビデオを撮ったことがある。
ポチを抱きながら、喘ぐポチを撮ったことがある。
確かに、自分の目線で撮っているのだから、
ぼくが見せたい様子をそのまま映し出すことができる。

ただ、気がついたのだが、
それをあとで見ても、あまり意味がないのだ。
あのとき、ポチはぼくのものだったんだよ。
ではなくて、
いま、ポチはぼくのものだよ。
とポチに確認させる作業がぼくには必要なのだ。

そういう意味では、ラブホにある鏡というものは、その持つ意味が大きい。
時間的同一性というものを確保できているからだ。
後背位で責めれば、ポチにポチの喘いだいやらしい顔を確認させることができる。

ただ、鏡ではぼくの目線で見るポチの姿を見せることができない。

そうなると、ビデオをテレビにつないで、撮りながらその映像をポチに見せるという方法しかない。
実際に、依然試みたことがある。
しかし、それはそれで、ポチが夢中になれないのである。

やはり、言葉で表現するしかないのか。
ほら、ポチはアナルを見せながら弄られて喘いでいるんだよ、
とか、
なんだ、涎を垂らして。気持ちいいのか?
とか。

ああ、どうしたら、ポチがぼくのものであることを、ポチに確認させることができるのであろうか。

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