つぶやき

毎年、思うのだが、
原爆の日って何をしているの?

死者の冥福を祈る。
これはわかる、とても大切なことだ。

じゃあ、「平和の祈り」って何?
全国に呼びかけて何をしているんだ?
たぶん、だれもわからない。
平和を願うだけ・・・。

いつだって、誰だって、願うだけならできる。

目的を明確にしていないから、何をしているのかわからなくなる。
祈って平和がくるのなら、
今日も死のうとしているレバノンの子どもたちは死ぬことはないはず。

そもそも、死者の冥福を祈る行為と平和を願う行為は両立するのか?
原爆で死んだのは、誰のせいなんだ?
平和を願えば、死者の冥福を祈ることができるのか?

やったのはアメリカだろう?
どうして、アメリカの謝罪がないんだ?
まあ、うやむやにするのも政治の一手法ではあるが、
それなら、もうやめたら?
いつまでするの?
100年後? 200年後?

意味がわからないまま、未来永劫平和を祈る。
意味がわからない。

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