あああああああ〜
毎日、毎日、仕事ばっかり。

ちっとも面白くない。
面白くないけど、愚痴るのはもっと嫌なのに愚痴っているから、
もっと面白くない。

本当は、
喜びも悲しみも押し殺したような平坦な日々を送りたい。
昨日と今日と明日の区別がつかないような、だらだらと永遠が続くような、
そんな毎日を送りたい。

もっと単純に生きたい。
明日の計画、明後日の計画、来月の計画、来年の計画。
考えるだけでも苦しい。
計画のない生活がしたい。

きっとポチは、そんな生活は嫌なんだよね?
ポチは目的のある生活が好きなんだよね。
ほんと、プロテスタントだよね、ポチは。
むか〜し、マックスウェバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んだとき、
(難しすぎて、読めたといっていいのかどうかわからないけれど。彼の研究の出発点みたいなもんだから、きっと彼自身もよくわかっていなかったんだろうな。記念碑的な作品ではあるよね。)
もっともっと適当で自堕落でい〜じゃん、って思った。
禁欲的に生きるの、好きじゃないんだ。

でも、人間は社会的な動物だから、
ブツブツいいながら、資本主義の競争社会に飲み込まれながら生きている。

がんばる人は好きだから、一生懸命に応援するけど、
ぼくだけは自堕落に。

これがぼくの理想かな。
少なくとも人間でいる間は。

シュレディンガーの方程式は大好きだ。
結局、すべてがわからないということを証明している数式だよね。
虚の世界と実の世界の「ゆらぎ」の中にすべてが存在している。
そんな風にぼくは解釈している。
「ゆらぎ」の中で・・・、ゆらゆらとすべてが動いている。
そんな世界で、人間は何か確かなものをつかもうとうごめいている。
無駄だよね。
ゆらゆらと生きて、ゆらゆらと死ぬ。
すべてを知りたいと思いつつ、すべてがわからないまま死ぬ。
ただ、すべてを知りたいと思い、妄想し、無駄だと知りながら死んでいくことが、一番美しいと思う。

唐突だけど、例の植草元教授。
彼の行為は好きだ。
ただ、国家の陰謀だのなんのと自己弁護するのは醜い。
「どうして触ったらいけないんだ?」
「どうして覗いたらいけないんだ?」
って何で言わないんだろう。
そういえば、かっこいいのに。

女性に触ったら犯罪で、牛を殺して食べるのは犯罪でない。
牛丼を食べるために大騒ぎする。
おかしいよね?

触るくらいいジャン、って言ったら怒られるかな。
少なくとも、100年前の日本では当たり前の行為だったのに。
あっ、地位とか権力とかをかさに触るのはよくないよ。
あくまでも、さらっと。
ごめんね〜って感じで。

とかく現代人間社会は住みにくい。

コメント