昨日は大好きだった祖母の命日でした。
祖母は、ぼくが小さい頃、雨の日も公園にサルを見に連れて行ってくれたそうです。
そんな祖母が、原因不明の高熱を出して入院。
寝こんでいる間に、足の筋肉が落ちて立てれなくなったんだ。
高熱がおさまると、リハビリの開始は、当然の流れだよね。
ところが、祖母はリハビリが辛くて、とても嫌がったんだ。
ぼくは、当時離れていたところに住んでいたから、お盆休みに帰ったときに泣きながらこう言われたんだ。
「リハビリが辛い。〜さんから、先生にリハビリを止めるように説明してちょうだい。」
(祖母はぼくを「さん」付けで呼ぶんだ。)
まあ、独断で決めるわけにもいかず、両親に相談したら、案の定、
「ばあちゃんは、わがままだから。でも立てれないと辛いのは本人だぞ。お前はいつもいないんだから、勝手なことを言うな。」
と言われ、言い返すこともできず、
祖母にも、「ばあちゃん、がんばって、応援するから。」と言って励ました。
「〜さんがそういうなら・・・」
と祖母もとりあえず納得してくれた。
ただ、素人目には、とても立てれるようになるとは思えなかった。
というのも、高熱で入院する前から、長年歩くのに不自由していたからだ。
結局、祖母は二度と歩くことなく、その後再度高熱を発して、約1ヶ月間、激痛にのた打ち回りながら死んでいった。最後は、モルヒネ漬けだった。
死因は、白血病で、脊髄が損傷して動けなくなっていたようだ。まあ、白血病とわかったのは、2回目の高熱による入院のときなんだけどね。
後悔するのは、あのときどうして祖母の願いを聞き届けなかったのかということ。
どう考えても、無駄に努力させたとしか思えない。
祖母は嫌だったんだ。
きっとゆっくりテレビでも見て、ぼーっと過ごしたかったんだ。
残り少ない大切な時間を、苦痛の時間に変えてしまった。
祖母を見て、自分の意思で決めることの大切さを思い知らされたんだ。
残り少ない時だからこそ、思うように過ごさせてあげたかった。
時間の過ごし方は、人それぞれなんだから。
祖母は、ぼくが小さい頃、雨の日も公園にサルを見に連れて行ってくれたそうです。
そんな祖母が、原因不明の高熱を出して入院。
寝こんでいる間に、足の筋肉が落ちて立てれなくなったんだ。
高熱がおさまると、リハビリの開始は、当然の流れだよね。
ところが、祖母はリハビリが辛くて、とても嫌がったんだ。
ぼくは、当時離れていたところに住んでいたから、お盆休みに帰ったときに泣きながらこう言われたんだ。
「リハビリが辛い。〜さんから、先生にリハビリを止めるように説明してちょうだい。」
(祖母はぼくを「さん」付けで呼ぶんだ。)
まあ、独断で決めるわけにもいかず、両親に相談したら、案の定、
「ばあちゃんは、わがままだから。でも立てれないと辛いのは本人だぞ。お前はいつもいないんだから、勝手なことを言うな。」
と言われ、言い返すこともできず、
祖母にも、「ばあちゃん、がんばって、応援するから。」と言って励ました。
「〜さんがそういうなら・・・」
と祖母もとりあえず納得してくれた。
ただ、素人目には、とても立てれるようになるとは思えなかった。
というのも、高熱で入院する前から、長年歩くのに不自由していたからだ。
結局、祖母は二度と歩くことなく、その後再度高熱を発して、約1ヶ月間、激痛にのた打ち回りながら死んでいった。最後は、モルヒネ漬けだった。
死因は、白血病で、脊髄が損傷して動けなくなっていたようだ。まあ、白血病とわかったのは、2回目の高熱による入院のときなんだけどね。
後悔するのは、あのときどうして祖母の願いを聞き届けなかったのかということ。
どう考えても、無駄に努力させたとしか思えない。
祖母は嫌だったんだ。
きっとゆっくりテレビでも見て、ぼーっと過ごしたかったんだ。
残り少ない大切な時間を、苦痛の時間に変えてしまった。
祖母を見て、自分の意思で決めることの大切さを思い知らされたんだ。
残り少ない時だからこそ、思うように過ごさせてあげたかった。
時間の過ごし方は、人それぞれなんだから。
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