今日、ポチと昆虫採集の話をした。
小学1年生のとき、昆虫採集の標本作りを趣味にしていたのだ。
といっても、全部で8体だけの、ちっぽけな標本なのだが。
小児結核で入院していた妹に、昆虫を見せてあげようと思い、作った。病院に虫かごに入れた生きた昆虫を持っていったら、看護婦さんに「汚いからダメ」と言われて、じゃあ、標本ならいいかも、という感じで。
おかげで、夏休みの自由研究にも役立った。
(3回くらい、使いまわした)
で、作った標本を妹に見せに病院に持っていくと、初老の医師が話しかけてきて、病院内の部屋に連れて行かれた。
そこには、世界的にも珍しい昆虫標本の大コレクションがあった。本当にみごとなものだった。
ただ・・・、せっかく妹に見せようと作ったのに、病院の中にこんな凄いのがあるなんて・・・、と思うと少し哀しくなった記憶がある。
だって、本当に凄い数の標本なんだもん。
で、標本を作る意味がなくなったので、それ以降は作るのは止めたんだよね。
それとは別に、もう一つ、標本を作るのを止めた理由がある。
それは、病院においてある本の中に、シュバイツアーの絵本の伝記があって、その中に「すべての生命は尊い」というような意味の文章が書かれていたからだ。
生きた蝶にホルマリン液を注射する嫌な感触も思い出した。
ついで言うと、その本を持ってその医師のところに行って説教をした覚えがある。
それ以来、ぼくは虫を殺さなくなった。
正確に言うと、危害を加える虫以外の虫は殺さなくなった。
(だから、蚊は殺すけど、ハエやゴキブリは殺さない。つかまえて家の外に逃がす。ハエやゴキブリを手で掴むことに家人は怯えるが。)
特に、中学生のときに、本でDNAという物質を知り、DNAレベルではヒトとヒト以外の生物にほとんど違いがないことを知り(ゾウリムシとヒトは約70%同じDNAを持つことを本で知った時には、心底驚いた)、虫を殺さない行為の正しさを確信した。
逆に、ヒトの「死」が恐くなくなった。
ところで、そのシュバイツアーだが、(ここからが本題)、
大学の図書館である比較文化論の本を読んで、彼の印象が180度変わった。
彼は高名な医師だが、そもそも彼は医師をしたくてアフリカに行ったわけではないのだ。
彼は、もともと宗教学と哲学を大学で学んだ熱心なキリスト教徒で、まだまだ教化されていないアフリカに宣教師としていくことを望んだ。
しかし、キリスト教の宗派の違いで、宣教団体と折り合いがつかず、宣教師としてアフリカに行くことができないことになった。
そこで、彼が考え出したのが、医師としてアフリカに行き、彼の宗派のキリスト教でアフリカを教化しようとしたのだ。
そこで彼は、30過ぎてから医学を勉強し、40前でアフリカに行くことに成功した。
当然アフリカで彼がしたことは、どの宣教師もしていること。つまり、宗教と医療とスポーツを持ち込んで住民を手なずけた後にやってくる、植民地支配だ。
したがって、アフリカでは、今でも彼の評判は決して芳しくないのだ。
ものの見方というのは、見る角度で全く違うということを思い知らされた。
そういう意味で、文化相対論と構造主義(ここでは関係ないが)は、ぼくの思考の根本的哲学だ。
ところで、
では、ぼくはシュバイツアーが嫌いかというと、そうでもない。
彼の記した、カントの研究は素晴らしい内容だし、ピアニストとしても相当な腕前だったらしい。
目的は別として、彼が医師としてたくさんの人命を救ったことも事実だ。
(もっとも、彼の行為は、たぶん彼が救った人命よりも、はるかに多くの人命を奪ったはずだが。)
そして、彼には悪意など微塵もない。
ただ、彼は無知だっただけだ。
ただ、彼はものの見方が狭かっただけだ。
そして、それは、決して彼ひとりの罪ではない。
人は、誰しもが、その属する時代と社会に洗脳されているのだ。
物心がつく頃から、家庭や、あるいは地域社会で洗脳され、学校で洗脳され続けるのだ。
大切なことは、洗脳されているということを自覚することだ。人は決して、自由思考ができているわけではないということを自覚することだ。
そうすれば、少なくとも彼のように、他人に迷惑をかけたり、のんきにノーベル平和賞をもらって喜んだりする人にはならずにすむだろう。
小学1年生のとき、昆虫採集の標本作りを趣味にしていたのだ。
といっても、全部で8体だけの、ちっぽけな標本なのだが。
小児結核で入院していた妹に、昆虫を見せてあげようと思い、作った。病院に虫かごに入れた生きた昆虫を持っていったら、看護婦さんに「汚いからダメ」と言われて、じゃあ、標本ならいいかも、という感じで。
おかげで、夏休みの自由研究にも役立った。
(3回くらい、使いまわした)
で、作った標本を妹に見せに病院に持っていくと、初老の医師が話しかけてきて、病院内の部屋に連れて行かれた。
そこには、世界的にも珍しい昆虫標本の大コレクションがあった。本当にみごとなものだった。
ただ・・・、せっかく妹に見せようと作ったのに、病院の中にこんな凄いのがあるなんて・・・、と思うと少し哀しくなった記憶がある。
だって、本当に凄い数の標本なんだもん。
で、標本を作る意味がなくなったので、それ以降は作るのは止めたんだよね。
それとは別に、もう一つ、標本を作るのを止めた理由がある。
それは、病院においてある本の中に、シュバイツアーの絵本の伝記があって、その中に「すべての生命は尊い」というような意味の文章が書かれていたからだ。
生きた蝶にホルマリン液を注射する嫌な感触も思い出した。
ついで言うと、その本を持ってその医師のところに行って説教をした覚えがある。
それ以来、ぼくは虫を殺さなくなった。
正確に言うと、危害を加える虫以外の虫は殺さなくなった。
(だから、蚊は殺すけど、ハエやゴキブリは殺さない。つかまえて家の外に逃がす。ハエやゴキブリを手で掴むことに家人は怯えるが。)
特に、中学生のときに、本でDNAという物質を知り、DNAレベルではヒトとヒト以外の生物にほとんど違いがないことを知り(ゾウリムシとヒトは約70%同じDNAを持つことを本で知った時には、心底驚いた)、虫を殺さない行為の正しさを確信した。
逆に、ヒトの「死」が恐くなくなった。
ところで、そのシュバイツアーだが、(ここからが本題)、
大学の図書館である比較文化論の本を読んで、彼の印象が180度変わった。
彼は高名な医師だが、そもそも彼は医師をしたくてアフリカに行ったわけではないのだ。
彼は、もともと宗教学と哲学を大学で学んだ熱心なキリスト教徒で、まだまだ教化されていないアフリカに宣教師としていくことを望んだ。
しかし、キリスト教の宗派の違いで、宣教団体と折り合いがつかず、宣教師としてアフリカに行くことができないことになった。
そこで、彼が考え出したのが、医師としてアフリカに行き、彼の宗派のキリスト教でアフリカを教化しようとしたのだ。
そこで彼は、30過ぎてから医学を勉強し、40前でアフリカに行くことに成功した。
当然アフリカで彼がしたことは、どの宣教師もしていること。つまり、宗教と医療とスポーツを持ち込んで住民を手なずけた後にやってくる、植民地支配だ。
したがって、アフリカでは、今でも彼の評判は決して芳しくないのだ。
ものの見方というのは、見る角度で全く違うということを思い知らされた。
そういう意味で、文化相対論と構造主義(ここでは関係ないが)は、ぼくの思考の根本的哲学だ。
ところで、
では、ぼくはシュバイツアーが嫌いかというと、そうでもない。
彼の記した、カントの研究は素晴らしい内容だし、ピアニストとしても相当な腕前だったらしい。
目的は別として、彼が医師としてたくさんの人命を救ったことも事実だ。
(もっとも、彼の行為は、たぶん彼が救った人命よりも、はるかに多くの人命を奪ったはずだが。)
そして、彼には悪意など微塵もない。
ただ、彼は無知だっただけだ。
ただ、彼はものの見方が狭かっただけだ。
そして、それは、決して彼ひとりの罪ではない。
人は、誰しもが、その属する時代と社会に洗脳されているのだ。
物心がつく頃から、家庭や、あるいは地域社会で洗脳され、学校で洗脳され続けるのだ。
大切なことは、洗脳されているということを自覚することだ。人は決して、自由思考ができているわけではないということを自覚することだ。
そうすれば、少なくとも彼のように、他人に迷惑をかけたり、のんきにノーベル平和賞をもらって喜んだりする人にはならずにすむだろう。
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