天和(てんほー)とは、「親」で配牌(はいぱい)で既にあがっている状態を言うんだよ。
(麻雀は普通4人でするもんだけど、順番に「親」がまわってくるんだ。「親」以外は「子」なんだけど。親であがると、得点が1.5倍になり、続けて「親」ができるんだ。)
地和(ちーほー)は、「子」の第一ツモであがること。
つまり、天和も地和も、腕も経験もなんにも関係なく、ただ運だけ。
だから、天和も地和もその確率は、単純に数学的にはじき出せるんだ。
で、天和の確率は、約33万分の1。
地和の確率は、約11万分の1。
まあ、トビとかいろいろルールがあって、単純には言えないけど、11局で半荘(ゲーム1回)を1回と計算すると、半荘3万回で1回あがれるのが、天和の確率。
だから、天和1回、地和2回あがるためには、半荘3兆回しないとあがれない確率になる。
毎日、毎日、睡眠ゼロで麻雀を打ち続けても、たぶん40半荘。
1年間で14600半荘。100年間で約150万半荘。
つまり、おぎゃーと生まれて、100年間、睡眠ゼロで麻雀を打ち続ける人が200万人いて(いるわけがないが)、そのうち1人だけ天和1回、地和2回をあがれる、というくらいすごい確率。
宝くじを例にとると、1等2億円が当たる確率は1枚300円あたり1000万分の1なので、
(つまり、30億円投資しないと1等2億円があたらない!)
半荘のゲーム代を300円とすると、
確率論的には、天和1回、地和2回あがったぼくは、1等2億円が30万回も当たる確率というわけ。
だから、人類史上で、「天和1回、地和2回」あがった人間は、ひょっとしたらぼくだけかもしれない。
どう、すごいでしょう?
まあ、無駄な運の使い方だけど・・・。
話は変わるけど・・・、
ぼくの心は、荒んでなんかないよ。
ぼくの心が荒むことなんて、たぶんないかも。
(いや、あるかもしれないけど。)
どんな嫌な状況でも、小さな幸せをどこかに探すのがぼくの流儀だから。
ただ、今の状況は好きではないです。
(麻雀は普通4人でするもんだけど、順番に「親」がまわってくるんだ。「親」以外は「子」なんだけど。親であがると、得点が1.5倍になり、続けて「親」ができるんだ。)
地和(ちーほー)は、「子」の第一ツモであがること。
つまり、天和も地和も、腕も経験もなんにも関係なく、ただ運だけ。
だから、天和も地和もその確率は、単純に数学的にはじき出せるんだ。
で、天和の確率は、約33万分の1。
地和の確率は、約11万分の1。
まあ、トビとかいろいろルールがあって、単純には言えないけど、11局で半荘(ゲーム1回)を1回と計算すると、半荘3万回で1回あがれるのが、天和の確率。
だから、天和1回、地和2回あがるためには、半荘3兆回しないとあがれない確率になる。
毎日、毎日、睡眠ゼロで麻雀を打ち続けても、たぶん40半荘。
1年間で14600半荘。100年間で約150万半荘。
つまり、おぎゃーと生まれて、100年間、睡眠ゼロで麻雀を打ち続ける人が200万人いて(いるわけがないが)、そのうち1人だけ天和1回、地和2回をあがれる、というくらいすごい確率。
宝くじを例にとると、1等2億円が当たる確率は1枚300円あたり1000万分の1なので、
(つまり、30億円投資しないと1等2億円があたらない!)
半荘のゲーム代を300円とすると、
確率論的には、天和1回、地和2回あがったぼくは、1等2億円が30万回も当たる確率というわけ。
だから、人類史上で、「天和1回、地和2回」あがった人間は、ひょっとしたらぼくだけかもしれない。
どう、すごいでしょう?
まあ、無駄な運の使い方だけど・・・。
話は変わるけど・・・、
ぼくの心は、荒んでなんかないよ。
ぼくの心が荒むことなんて、たぶんないかも。
(いや、あるかもしれないけど。)
どんな嫌な状況でも、小さな幸せをどこかに探すのがぼくの流儀だから。
ただ、今の状況は好きではないです。
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