権威受容説 by バーナード
2007年5月3日 ご主人様からポチへ「何でもしますから・・・」というポチは可愛い。
ただ、今までいわゆる「嫌な命令」にポチが忠実に従ったことがあったか、というと、記憶が定かではない。
ところで、
「一つの命令が権威をもつかどうかの意思決定は受令者の側にあり、『権威者』すなわち発令者の側にあるのではない。」
これは、組織理論における、バーナードのいわゆる「権威受容説」だ。
つまり、組織内のポストとか、規則とか、そういったものが「権威」の本質ではない、と彼は言っているのだ。
実に卓見だと思う。
というのも、「命令」というものは、何らかの目的をもって出されるものだが、無理矢理に従わせるのでは、その本来の目的の完成度が全く異なるからである。また、短期的には有効でも、長期的には無理な命令がどこかで目的を破綻させるのが明白だからである。
ということは、究極的には「目的」を何に置くかで、命令の出し方も変わるということだ。発令者が権限があるからといって、好き勝手に発令すべきではないということだ。
翻って、ぼくの場合には、目的は「ポチの精神の安定」だ。
それ以外の目的なら、ぼくは決してポチが嫌がる命令などしない。
だから、ぼくの命令は、きちんと聞いて欲しい。
ポチの「夢」(夢ではないそうだが、適当な言葉がないので)をかなえるためには、精神の安定こそが必要十分条件だとぼくは信じているので、そのためにぼくは命令を出す。
ぼくは、ポチがかぶっている殻を壊すために命令を出す。
ささいな懸念、わずかな不安、気になる他人の視線、
そういったものから、ポチを開放したい。
人生は、どうあるべきかというよりも、どう捉えるか、が問題である。
これは、ご主人さまの言葉だ。
バーナードのよれば、
結局、命令をきかないのは、命令をきかない受令者に責任があるのではなく、命令を出す発令者の権威がないことに原因がある、
ということだ。
きっと、ポチが命令をきかないのは、ぼくに権威がないからなんだろう。
ぼくに、尊敬とか、信頼とか、そういった何かが欠けているからなんだろう。
ただ、今までいわゆる「嫌な命令」にポチが忠実に従ったことがあったか、というと、記憶が定かではない。
ところで、
「一つの命令が権威をもつかどうかの意思決定は受令者の側にあり、『権威者』すなわち発令者の側にあるのではない。」
これは、組織理論における、バーナードのいわゆる「権威受容説」だ。
つまり、組織内のポストとか、規則とか、そういったものが「権威」の本質ではない、と彼は言っているのだ。
実に卓見だと思う。
というのも、「命令」というものは、何らかの目的をもって出されるものだが、無理矢理に従わせるのでは、その本来の目的の完成度が全く異なるからである。また、短期的には有効でも、長期的には無理な命令がどこかで目的を破綻させるのが明白だからである。
ということは、究極的には「目的」を何に置くかで、命令の出し方も変わるということだ。発令者が権限があるからといって、好き勝手に発令すべきではないということだ。
翻って、ぼくの場合には、目的は「ポチの精神の安定」だ。
それ以外の目的なら、ぼくは決してポチが嫌がる命令などしない。
だから、ぼくの命令は、きちんと聞いて欲しい。
ポチの「夢」(夢ではないそうだが、適当な言葉がないので)をかなえるためには、精神の安定こそが必要十分条件だとぼくは信じているので、そのためにぼくは命令を出す。
ぼくは、ポチがかぶっている殻を壊すために命令を出す。
ささいな懸念、わずかな不安、気になる他人の視線、
そういったものから、ポチを開放したい。
人生は、どうあるべきかというよりも、どう捉えるか、が問題である。
これは、ご主人さまの言葉だ。
バーナードのよれば、
結局、命令をきかないのは、命令をきかない受令者に責任があるのではなく、命令を出す発令者の権威がないことに原因がある、
ということだ。
きっと、ポチが命令をきかないのは、ぼくに権威がないからなんだろう。
ぼくに、尊敬とか、信頼とか、そういった何かが欠けているからなんだろう。
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