『空がいくら青くても美しい風景を見ても何をしても何を聞いても
私の心が本当に晴れ晴れとして喜びに充たされることはないと思う。』
というのは、書いた瞬間の刹那的な気持ちなのか、
それとも、ポチの確信なのか。
もし本当にそうなら、
ぼくがポチと過ごす時間は、単なる徒労の時間になってしまうんだけど。
もちろん、ぼくはポチと逢いたい。
もちろん、ポチとセックスしたい。
(セックスしたい、と書くと少し違う気がいつもする。単に射精したいわけではないので。)
でも、「そうしたい」という気持ちだけではなく、
「喜んでもらえる」という気持ちというか、確信みたいなものがないと、逢いにいけない。
単なる現実逃避(まあ、ある意味で現実逃避なのかもしれないが)の対象でしかないのなら、
もう、ポチに逢いにいけなくなる。
哀しい。
私の心が本当に晴れ晴れとして喜びに充たされることはないと思う。』
というのは、書いた瞬間の刹那的な気持ちなのか、
それとも、ポチの確信なのか。
もし本当にそうなら、
ぼくがポチと過ごす時間は、単なる徒労の時間になってしまうんだけど。
もちろん、ぼくはポチと逢いたい。
もちろん、ポチとセックスしたい。
(セックスしたい、と書くと少し違う気がいつもする。単に射精したいわけではないので。)
でも、「そうしたい」という気持ちだけではなく、
「喜んでもらえる」という気持ちというか、確信みたいなものがないと、逢いにいけない。
単なる現実逃避(まあ、ある意味で現実逃避なのかもしれないが)の対象でしかないのなら、
もう、ポチに逢いにいけなくなる。
哀しい。
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