この本を読んでいないが、ポチに聞いた内容から推測すると、いわゆるフェミニストが頭から湯気を立てて怒りそうな内容であろう。
しかし、ヒトが生物である以上、女性がメスとして子ども産むことを目的に生まれてきていることは間違いない構造論的事実である。
自然の摂理に逆らって「セックスしない」「出産しない」というのは、肉体的に極めて不健康だ。

この考えに対して、「女性蔑視」と叫ぶ人がいれば、それは「事実」と「評価」を混同しているに過ぎない。事実は事実として受け入れ、その事実をどう評価すればよいかを考えればよいだけだ。田嶋陽子、福島瑞穂たちが、ヒステリーと呼ばれるのには意味がある。
また、不妊の女性たちには酷だという意見もあるが、薄っぺらな同情論で事実を隠蔽して議論してもしかたないだろう。
事実として、女性が子どもを産んでくれないと、人類は滅ぶのだ。
いくら、出産しても女性が働きやすい職場環境を整えたり、男性に子育て休暇を与えたとしても、要は女性が子どもを産んでくれないと画餅なのだ。
「地球のために人類は滅ぶべきだから、女性は子どもを産む性であることを否定する」というのなら、筋は通る。

そもそも、「女性蔑視」だというのは、とんでもなく筋違いだ。
女性の「産む性」を強調すればするほど、女性の価値は上がり、ほとんどの男性の存在価値は薄くなる。なぜなら、「産む性」を中心に考える限り、オスは限りなく1匹いればいいのだから。
経済性や社会生産性といった経済戦力で考えると、男性にも価値が出てくる。そこに、女性が参戦することで、本来的に交換価値が男性よりはるかに高かった女性が、男性と同価値、あるいはそれ以下の存在になる。
そして、それが正しいと教育される。
不思議な世界だ。
そして、表の世界では、セックスは、基本的にアンタッチャブルだ。
正しいセックス、愛をより深め合うセックス、とか、とても大切なことなのに、教育しようとしない。
次世代を形成するという、生物本来の持つ使命や、ヒトらしい愛情の交歓といったことではなく、
結果的に、社会の歯車になることが「自分らしく生きること」だと教える不条理。

ヒトは仕事をするために生まれてきたのでは、絶対にない。
セックスし、次世代へと命をつなぐために生まれてきたのだ。
この、限りなく疑いようのない事実を、どうして正面から取り扱おうとしないのか?

不思議な世界だ。

(そもそも、男女が平等だと考えること自体がおかしいのだ。どこをどう考えたら、同じなんだ??? 肉体的にも精神的にも、全然違うじゃないか??? 優劣じゃなくて、根本的に異なるのだ。どうして、この当たり前のことを言葉にすると怒られるのか、不思議だ。)

コメント