慣習という、厄介なもの
2007年8月29日 ご主人様のつぶやき小池女史となんとかいう事務次官のけんか・・・。
なんとなく、小池女史が我侭を言った、というような印象で報道されている。
ルールを無視したとか。
しかし、国家公務員法等の法律では、
事務次官(などの幹部の官僚)の人事権について、
任命権者は所管の大臣と明記されている。
そして、内閣の許諾が必要だとされている。
つまり、小池女史は、なんとかいう事務次官を辞めさせることも、他のなんとかいう人を事務次官に任命することも自由なのだ。
ただ、最終的に内閣の許諾が必要なので、勝手に任命しても内閣に断られるかどうか、わからないだけど。
そういうわけなので、彼女はきちんとルールどおりにやっているのだ。
ところが、何とか官房長官が、何とか会議の協議で決めることになっているとか、なんとか事務次官が、次の事務次官は前の事務次官が推薦することになっている、とかいって慣習を持ち出してきたのだ。
原則として、明文と慣習が対立するなら、明文が優先するのが法律のイロハだろうが。
マスコミはアホか?
いや、アホなんだけど、ね。
だいたい、「慣習」というのがぼくは嫌いだ。
確かに、「慣習」というのは、できた当初は必要性があって始められてたものだ。その限度で、有効性があるのは確かだ。
しかし、必ずしも合法的であるとは限らないし、その「慣習」がいつまでも時代にあっているとは限らない。
しかも、明文に根拠がないため、不正が横行しやすいし、「旨み」が発生しやすい。
また、廃止しようと思ってもなかなか廃止できない。
明文上の制度なら、法律から除去すれば簡単に廃止できるのだが、法律上ないものを法律で規制のしようがないのだ。
つまり、慣習は便利だが、厄介なものなのだ。
建設業界の「談合」とか、
パチンコ業界の「三店方式」とか、
大学病院の「医局」とか・・・etc。
あと、「慣習」といわれるものの他にも、明文で書かれていない業界の特殊ルールがある。
それが問題になっているのが、相撲界の「横綱の品格」とか、高校野球界の「高校生らしいプレー」とかいうものだ。
もっと、オープンにやろうよ。
だんだんと、いろいろな業界で透明性が重視されてきており、大きな視野で見れば、間違いなくいい方向に進んでいる中で、
頭の古いガラクタどもが、既得権益を守ることに一生懸命だ。
そういった奴らが必ず持ち出すのが「弱者を守る」だ。
騙されてはいけない。
確かに「弱者を守る」ことは正しい行為だ。
しかし、今の制度では毎年100人の弱者しか守れないが、新しいシステムで200人の弱者を守れるなら、心を鬼にして、目の前の100人の弱者を切り捨てる勇気が必要なのだ。
もちろん、ぼくにその勇気はない。
しかし、国家とか、マスコミとか、各業界のリーダーとかには、そういう勇気が必要なのではないだろうか。
とんと聞かなくなった「国家百年の計」。
せめて20年後のビジョンを行動して欲しいものだ。
それが、リーダーの役割だろう。
できないのなら、さっさと辞めろ。
代わりなんていくらでもいる。
なんとなく、小池女史が我侭を言った、というような印象で報道されている。
ルールを無視したとか。
しかし、国家公務員法等の法律では、
事務次官(などの幹部の官僚)の人事権について、
任命権者は所管の大臣と明記されている。
そして、内閣の許諾が必要だとされている。
つまり、小池女史は、なんとかいう事務次官を辞めさせることも、他のなんとかいう人を事務次官に任命することも自由なのだ。
ただ、最終的に内閣の許諾が必要なので、勝手に任命しても内閣に断られるかどうか、わからないだけど。
そういうわけなので、彼女はきちんとルールどおりにやっているのだ。
ところが、何とか官房長官が、何とか会議の協議で決めることになっているとか、なんとか事務次官が、次の事務次官は前の事務次官が推薦することになっている、とかいって慣習を持ち出してきたのだ。
原則として、明文と慣習が対立するなら、明文が優先するのが法律のイロハだろうが。
マスコミはアホか?
いや、アホなんだけど、ね。
だいたい、「慣習」というのがぼくは嫌いだ。
確かに、「慣習」というのは、できた当初は必要性があって始められてたものだ。その限度で、有効性があるのは確かだ。
しかし、必ずしも合法的であるとは限らないし、その「慣習」がいつまでも時代にあっているとは限らない。
しかも、明文に根拠がないため、不正が横行しやすいし、「旨み」が発生しやすい。
また、廃止しようと思ってもなかなか廃止できない。
明文上の制度なら、法律から除去すれば簡単に廃止できるのだが、法律上ないものを法律で規制のしようがないのだ。
つまり、慣習は便利だが、厄介なものなのだ。
建設業界の「談合」とか、
パチンコ業界の「三店方式」とか、
大学病院の「医局」とか・・・etc。
あと、「慣習」といわれるものの他にも、明文で書かれていない業界の特殊ルールがある。
それが問題になっているのが、相撲界の「横綱の品格」とか、高校野球界の「高校生らしいプレー」とかいうものだ。
もっと、オープンにやろうよ。
だんだんと、いろいろな業界で透明性が重視されてきており、大きな視野で見れば、間違いなくいい方向に進んでいる中で、
頭の古いガラクタどもが、既得権益を守ることに一生懸命だ。
そういった奴らが必ず持ち出すのが「弱者を守る」だ。
騙されてはいけない。
確かに「弱者を守る」ことは正しい行為だ。
しかし、今の制度では毎年100人の弱者しか守れないが、新しいシステムで200人の弱者を守れるなら、心を鬼にして、目の前の100人の弱者を切り捨てる勇気が必要なのだ。
もちろん、ぼくにその勇気はない。
しかし、国家とか、マスコミとか、各業界のリーダーとかには、そういう勇気が必要なのではないだろうか。
とんと聞かなくなった「国家百年の計」。
せめて20年後のビジョンを行動して欲しいものだ。
それが、リーダーの役割だろう。
できないのなら、さっさと辞めろ。
代わりなんていくらでもいる。
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