リサ・ランドールという女性が5次元空間というものの存在を「理論的に証明」したらしい。
らしい、というのは、ぼくにはその内容が理解不能だからだ。
しかし、今、量子物理学の世界では、ランドール女史の理論を実験で証明しようと躍起になっているらしい。
CERNにあるLHCでも、実験が始まるとか。
現実に証明できるのかどうか、というと、たぶんできないだろう。
たぶん、量子を衝突させれば、その一部が観測不能になる事は容易に予想できる。
なぜなら、それがシュレディンガーの法則の数式が表す虚数iの意味だから。
しかし、それが五次元世界の証明になるかというと???だからだ。
まあ、そんなことはともかく、
これだけ5次元空間の存在を声高にいわれると、
いわゆる「科学」への興味が急速に薄れていくのを禁じえない。
なぜなら、結局我々は事物のごくごく微細な点しか観測できない、ということ証明したことと等しいからだ。
3次元(空間)を切り取れば、その断面は2次元(平面)。
2次元(平面)を切り取れば、その断面は1次元(線)。
1次元(線)を切り取れば、その断面は0次元(点)。
つまり、切り取った断面が3次元(空間・立体)になる、そういう世界が4次元。
もうこの時点で、想像不可能(当たり前か)。
そして、この想像不可能な4次元を切り取った断面とする世界が五次元。
例えるならば、
3次元世界の我々にとっての線の世界が、
5次元世界にとっての3次元世界。
「立体の世界」における「線」程度でしか事物を認識できないのであれば、我々に真理なんて、真の意味では理解できない。
「重力」ってどうしてあるのか?
「精神」ってなんだろう?
そんなことは全て「哲学」の世界の範疇であることを、証明する意味でしかない。
結局、アリストテレスの時代からなにも変わっていないのだ。
しかも、5次元世界以上の世界だって当然あるに違いない。
いくら顕微鏡を覗き込んでも、
電波望遠鏡で観測しても、
真理のごくごくごくごくごくごく一部しか認識できない。
科学は、ゾウリムシの繊毛のごく一部の断片で、ゾウリムシどころか、宇宙を語ろうとしているのに等しい。
らしい、というのは、ぼくにはその内容が理解不能だからだ。
しかし、今、量子物理学の世界では、ランドール女史の理論を実験で証明しようと躍起になっているらしい。
CERNにあるLHCでも、実験が始まるとか。
現実に証明できるのかどうか、というと、たぶんできないだろう。
たぶん、量子を衝突させれば、その一部が観測不能になる事は容易に予想できる。
なぜなら、それがシュレディンガーの法則の数式が表す虚数iの意味だから。
しかし、それが五次元世界の証明になるかというと???だからだ。
まあ、そんなことはともかく、
これだけ5次元空間の存在を声高にいわれると、
いわゆる「科学」への興味が急速に薄れていくのを禁じえない。
なぜなら、結局我々は事物のごくごく微細な点しか観測できない、ということ証明したことと等しいからだ。
3次元(空間)を切り取れば、その断面は2次元(平面)。
2次元(平面)を切り取れば、その断面は1次元(線)。
1次元(線)を切り取れば、その断面は0次元(点)。
つまり、切り取った断面が3次元(空間・立体)になる、そういう世界が4次元。
もうこの時点で、想像不可能(当たり前か)。
そして、この想像不可能な4次元を切り取った断面とする世界が五次元。
例えるならば、
3次元世界の我々にとっての線の世界が、
5次元世界にとっての3次元世界。
「立体の世界」における「線」程度でしか事物を認識できないのであれば、我々に真理なんて、真の意味では理解できない。
「重力」ってどうしてあるのか?
「精神」ってなんだろう?
そんなことは全て「哲学」の世界の範疇であることを、証明する意味でしかない。
結局、アリストテレスの時代からなにも変わっていないのだ。
しかも、5次元世界以上の世界だって当然あるに違いない。
いくら顕微鏡を覗き込んでも、
電波望遠鏡で観測しても、
真理のごくごくごくごくごくごく一部しか認識できない。
科学は、ゾウリムシの繊毛のごく一部の断片で、ゾウリムシどころか、宇宙を語ろうとしているのに等しい。
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