出逢った頃が懐かしい。
電話をかけるだけで、ポチは喜んでくれたよね。
たくさん逢えたしね。
今は、逢うこともままならず、ポチはいつも哀しい。

出逢った頃は、
逢えない日々が続けば、あと何日で逢えるね、なんて言い合ったりしたね。
ポチの文章にも、喜びが溢れていたよね。
けんかすることもあったけど、今ほど哀しくなかったよね。

今のポチには、哀しみしかないみたいだ。
ぼくがいてもいなくても、哀しいみたいだ。
ぼくがいても、ポチには喜びはないみたいだ。
それは、とても哀しくて虚しい。

元気付けようと、電話をする。
受話器から聴こえるポチの声は暗い。
だから、電話する前に、ぼくは思いっきりテンションを上げる。
でも、ポチの暗い声の前に、ぼくの努力は消えていく。

逢っている時も、どんな話をしようか、と、最近は話題を選ぶ。
で、黙っていると、「どうしたんですか?」と聞いてくる。
「何でもないよ。」と答える。
本当に何でもないんだ。
どうすれば、ポチが喜んでくれるか、考えているんだ。
でも、ポチは「怖い」という。

選んだ話題も、すぐに口論になる。
全く重要な話題じゃないんだけどね。
どうでもいいんだけどね。

大切なことは、ぼくがポチを大好きなこと。
そして、ポチがぼくを愛してくれていること。

でも、最近は、ポチがぼくのことをどれくらい好きなのか、わからない。
ポチにとって、家族以外の唯一の話相手であるから逢いたいのか、
ポチを外に連れ出す、ただ一人の相手だから逢いたいのか、
そうなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

ただ、最近は、以前のように愛の言葉を呪文のように繰り返してくれることもない。
ブログの文章の中からも、愛の言葉は消えている。
電話の中でも、ぼくが言ったときに、木霊のように帰ってくるだけだ。
愛は、強制するものではないことは分かっている。
でも、書いてくれないと、言ってくれないと、哀しい。

ポチの言葉は、「淋しい」とか、「哀しい」とかばかり。
ぼくと逢えなくて、淋しいのでも、哀しいのでもなく、
ぼくがいてもいなくても、淋しくて、哀しいポチ。

いったいそんなポチに、ぼくは何をしてあげることができるのであろうか?
純粋に愛し合うだけではいけないの?
それぞれに、それぞれの事情があるのは承知の上で、
でも、愛し合える喜びを忘れないで欲しい。
愛し合える喜びを表現して欲しい。

でないと、お互いに愛が消えていくんじゃないかな?
だって、二人は共鳴し合うから、喜びも哀しみも。

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